2005 年 1 月 2 日
「スリランカの津波被害に関して」
皆様へ
鈴鹿国際大学教授・NPO法人タランガ・フレンドシップ・グループ(TFG)理事長のアーナンダ クマーラです。
天気は雨。熱帯国のスリランカとしては寒いと感じる温度です。
昨日の朝5時ごろワラカーポラ市(コロンボから50キロ北部)を出発し一日の長い旅が始まりました。目的地は、南部のマータラ市(ワラカーポラ市より230キロ)で、またその途中のゴール市でした。南部の悪い交通事情、道路状況を考慮し、いざとなったときを考えて、運転手2名をつれていくことにしました。また、スリランカ交通局副次長にも同行(コロンボで待ち合わせ)していただきました。
今回の被災地訪問は、被害の状況を確かめ、今後の支援活動をどのようにするかを検討するためです。前回よりは少ないですが、救援物資の水、果物、子供向けの本などを車に乗せ出発しました。途中の路上で被災者に手渡しました。
最終目的地のマータラ市には14:50ごろ着き、18:30ごろまでマータラ市周辺の様々な場所を訪問視察しました。運転手2名が途中交代しながらの移動でしたが、道路に横たわっていた大きな石(10キロ以上)とぶつかり,スピードメーターのケーブルなどが壊れ、大変な思いをしながらワラカポーラ市へ戻ったのは夜中の2時ごろでした。
海岸道路(第2号線)を通りましたが、コロンボを南方に下ったあたりから、津波の被害により破壊された海岸沿いの住宅が見えてきました。海から50〜100mあたりの家は殆ど全壊し、被害を受けた住宅などの痕跡が多少残っているだけでした。この辺の道路自体は被害を受けてないようです。モラテュワ市(家具生産が有名)からヒッカデゥワ市(きれいなサンゴ、熱帯魚、海亀などで有名な観光地)辺りまでの移動にはそれほど問題はありませんでした。しかし、ヒッカデゥワ市の道路や橋は崩れ、通ることができない状況です。この周辺では、ボートなどが路上に乗り上がり、また内陸2〜300mのあたりまで船が流されている姿もよく見えました。
警察がパトロール・道路案内などを行っています。迂回路を使って遠回りでヒッカデゥワ市を通過。海岸にある多くの有名なホテルが壊れていました。有名なヒッカデゥワ・コラル・ガーデンホテルや他のホテルも1階のガラス窓がほとんど壊れ、壁もところどころ崩れていました。南部に向かって道路右側の海岸沿いのホテルだけでなく、道路を挟んで左側のホテルでも同じ状況でした。ベールワラ市、ベントータ市も同様です。途中の目的地であるゴール市(オランダ時代の軍事施設、世界遺産で有名、コロンボから99キロ)は海から500〜1000mのところですが、津波はそのあたりまでもきていました。流されてきた家財道具、自動車、がれきなどが残っています。現地のテレビでも紹介されていましたが、塾通いの女子学生ら5人もここで津波に流され命を失ったようです。
そして、マータラ市へ。以前多くの商店街、商人、客で賑わう街中心部もさびしそうでした。殆どの店が閉まったまま、或いは被害をうけ倒壊したままです。有名な魚売り場も、完全に全壊していました。
知人のマータラ市役所の助役を尋ねてみましたが、ガードマンの話により役員宿舎の中にまで海水が流れてきて、その助役は離れた場所(内陸)に避難していることがわかりました。
その後、助役から連絡があり、津波当日は宿舎の中に強い波が流れてきて、体の3分の2の高さあたりまで水位が上がり、苦労してやっと高台に逃げることができたと、その恐ろしい経緯を話してくれました。近いうちに市役所の仕事が再開できるよう全力を挙げたいと話していました。
南部へ渡る道路両側は倒壊した住宅や残骸、がれきなどで埋めつくされていました。また、住民が避難物を運ぶトラックなどを待っている姿も見えました。多くは女性と子供です。多くの男性は壊れた住宅の片づけをしていました。キャタピラ、power shovel などで溢れたがれきの撤去作業をしていました。
被害者に対して食料品はある程度運ばれてきているようですが、その配布は一様でないという感じを受けました。救援物資の配布の仕方に関しては工夫する必要があります。
漁村は全壊。ボートが転覆したり、道路または陸や海に流されたりしていました。様々な地場製品(ロープなどのヤシ製品、民芸品、おめん)などの土産店や、観光地として有名な海岸の店舗の殆どが津波により全壊していました。
彼らはいつ商売の再開ができるようになるのだろうか。それはどこで?資金はどうするのか?どこに住むのか?その土地はどのようにして購入することになるのか?海岸にはあまり住みたくないが、内陸に住んだ場合、観光客はそこまで来てくれるのだろうか?など、彼らが直面している問題は様々です。
このような時、衣食はもちろん重要ですが、避難者は将来どこに住むのか、とても気になることです。被害の規模があまりにも大き過ぎて、NPO・NGOなどの民間団体の力だけではこの問題を解決できません。
いつ自立できるのか?いつ自分たちの力で生活できるようになるのかといったことも懸念されます。
今回は南部のマータラ市までしか行きませんでしが、ここより先のハンバントータ市(有名な観光ホテルがあり外国人を含む多くの死傷者がでている)や、東部のバティッコラ市、北部のトリンコマリー市、ムラティブ市、ジャフナ市(タミール解放のトラ=LTTEの兵士も死亡しているようです)などの地域の被害もとても大きいようです。
1月1日から、現地のラジオ局では死者の数の報道を控えるようにしています。災害直後から12月31日までは死者の数を頻繁に報道し、3万人近い数の人が命を失ったと報道していました。今でも倒れた建物の中から遺体が出てきているようで、まだ行方不明者が4千人以上いるようです。お葬式は行いまま政府による土葬が殆どです。ある病院の責任者が、大多数の死者がひとつの大きな穴の中で埋葬されることになったとラジオで報告していました(具体的な数についての明記は遠慮させていただきます)。あまりにも被害に遭われた方が多いため、病院での対応が追いつかず、死亡者の身元が特定できないまま生地に巻かれた姿で土葬されているようです。
今年に入ってから「津波の力以上に私たち全員が全力でがんばり、国を立て直しましょう」というスローガン的な話が政治家の口から出るようになりました。LTTEも以前政府と強く対立していましたが、現在はそれよりも「みんなで協力してこの危機を乗り越えるようにするべきだ」という発言が目立ってきました。
政府軍による少数民族のゲリラとの戦いの他に、政治力を高めるための政治派同士の権力争いもスリランカでは深刻です。多くの政治家は、国づくりを真剣に考えているとはいえない状況なのです。
全国レベルで大規模の被害を受けているこのようなときこそ、これをきっかけに、この小さい国の人々の様々な争いが完全になくなることができるのであれば、今回の大規模の被害は本当の意味の被害ではないといえます。
・・・
マータラ市役所で聴かされたショッキングな話です。
近くを通りかかった男性に声をかけてみたら、その方はたまたまその市役所の受付主任(現地語でアーラッチといいます)をされているマイケルさん(57歳)でした。
アーラッチ(マイケルさん)の話:
自分の家にも海水が流れてきて、家の中にいた子供二人が1m以上の高さの波に溺れそうになったそうです。アーラッチは彼らを助けるために手を伸ばしましたが手が届かず、一瞬の強い津波によってその二人が倒れ始めた壁の外に流されてしまったようです。周りを確認すると、首まで沈んでしまっている母親の弱い叫ぶ声が聞こえてきたと同時に、少し離れたところで何かにぶら下がっている妻が見えてきたようです。誰を先に守ろうかと一瞬戸惑ったようですが、母親は老人で泳ぐことができず、その上目もあまり見えないため、やはり「お母さんを先に助けるべきだ」と決め、もがきながら必死に高台まで運び、次に妻のところへ助けに行ったようです。「自分は泳ぎが得意だが、その津波はとても強く怖かった」と話しており、足などを怪我されていました。
アーラッチが「お母さんは重症で、おそらくあと2、3日の命かもしれないが、自分は精一杯頑張ったので、後悔はない」と悲しそうに話をしていました。でも「僕の大事な子供二人が・・・戻ってこない。息子の遺体は見つかったが、娘はどこに流されたのかわかりません。・・・残ったのは息子の死亡証明書だけです。いまは息子の死亡証明書をポケットに入れていますよ。このハンカチ(手にあったハンカチを見せて)は娘のハンカチで、私の宝物です・・・」と言うと同時に涙がこぼれていき、そのハンカチで涙を拭っていました。話を聞いていた僕らはどのように答えていいのか・・・とても困ってしまいました。クマーラの今までの人生の中でこれほど言葉に困ったことはなかったです。
アーラッチは涙を流しながら、「明日もお寺に行き、子供のためにお祈りします。おそらく母はもうすぐ(死ぬ)かもしれない。でも、僕はできること全てをやりました。でも・・・僕の大事な子供2人が戻ってくるわけがないから・・・・とても悲しいよ。今回の大変な被害で家族全員が亡くなったり、一人だけ残された人が多くいたりすることを考えると、僕は恵まれたほうです。・・・でもね・・」と、苦笑いをしました。
話を聞いた私たち全員が言葉を失いましたが、お悔やみの気持ちを伝え、救援物資の水、食料品などと一緒に若干の義援金を手渡ししました。彼はそれらを受け取るのを遠慮していましたが「以前は僕が多くの人を助けましたが、今は僕が完全に被災者になりました。いまは人様の助けが必要です。仕方がありません。」と、お礼の言葉と感謝の表情で、私たちからの心ばかりのものを受け取りました。
(マータラ市役所の助役から電話連絡があったときにアーラッチのことを伝えると「それは事実だ」と話していました)
このように、今まで真剣に努力し生きてきた多くの人々が今回の津波により被害者になってしまいました。自分たちのことを誇りに思い自分たちの力を信じて生きてきた多くの人々がこの被害者なかに多くいるのです。26日の恐ろしい津波は、この方たちの持つ人間としての誇り、自信、一生懸命確保してきた財産、また何よりも大事な家族・・・何から何までも全て奪ってしまいました。物質的な被害と同様に、或いはそれ以上に精神的な被害もとても大きいのです。
スリランカは発展途上国です。正確な警報システムが存在していたのであれば、今回のように大多数の死者が生じることはなかったでしょう。発展途上国としての弱さを感じずにはいられません。今回被害を受けたインドネシアやインド、タイも同様です。
今回被害にあった人々は貧しい人ばかりではなく、比較的豊かな方々もたくさんおられました。彼らは、彼らの経済力とは関係なく、この国の一番貧しい人たちからの食糧支援をとてもありがたく考える立場まで落とされました。貧富の差が激しい社会の従来の姿とは大違いです。今回のことは、人々へ重大な体験を強いらせられていますが、全国から集まってきた救援物資により、生きることの大切さ、人間の情の温かさ、ありがたさを多くの人々が感じたのではないでしょうか。人間社会では権力や財力により生活レベルの違いが生じるのですが、「自然」という偉大な魔力の前では皆一様です。
私たちは、被害者の方々が誇りを持って自分たちの力で立ち上がる日が一日も早く訪れることを願ってやみません。このような時こそ、私たち一人一人ができる範囲で協力すべきではないでしょうか。
|