スリランカ津波災害義援金募集

2004年12月26日スマトラ沖地震の際の津波の影響により、スリランカの南東部が甚大な被害を受けました。
TFGとして、直接被災者の方々に救援物資をお届けしております。 日本からの多くの支援を直接災害があった地域へお届けするためにTFGのメンバーが現地に滞在し、車や運搬などのボランティア活動をしています。

少しでも多くの方に救援物資をお渡しするため、義援金を募っています。
義援金振込みは、下記口座にお願いいたします。下記右は朝日新聞に掲載された記事です。

★ 口 座 名   タランガ フレンドシップ グループ

★ 口座番号   ・大垣共立銀行扶桑支店 普通口座 123856

           ・郵便貯金口座 00830-3-102563

皆さまからお預かりした大切な義援金は、TFGが責任を持って、直接被災者の方々へ間違いなくお届け致します。救援物資配布の模様が伊勢新聞にも掲載されました。
TFGから救援物資第三便。子供たちの学童用具をお届けしました。
   
皆さまからの温かいご支援の義援金をクマーラ先生が代表でお預かりしました。

 

救援先および救援内容一覧

 

★2005年6月10日テレビ大阪の番組「ボランティア21」で紹介されました。

 

★2005年1月14日〜募金活動もしました。その模様が伊勢新聞に掲載され、2005年1月19日(水)18〜19:00中京テレビ「ニュースプラス1」で放映されました。

 

★新聞に掲載された記事です。(画像をクリックすると拡大します。)

    

 

★皆さまからTFGへの支援・反響の声をいただきました。

★津波災害情報スリランカ外務省サイト(英語)

◆現地からのダイレクト情報◆ (随時更新します)

TFG による第5回目の津波被害者に対する支援活動内容(2005年4月〜5月)

皆様、こんにちは。

NPO法人 タランガ フレンドシップ グループ (TFG) 理事長のアーナンダ クマーラ (鈴鹿国際大学教授・国際交流センター所長)です。

今回TFGが5月中旬 (5月13日から20日まで、TFGとしては第5回目) スリランカ南部地域を対象として津波被害者への支援を行いました。そのときに支援内容は、上記の理由に基づき行いました。対象は4つの学校です。すべて南部地域のものです。

1.タンガッラ学校(小・中・高一貫教育)。タンガッラ市、コロンボから約220キロ。=>学校民族舞踊団用の衣装(40名分)、民族楽器+学校クラブ活動用のスポーツ用品、民族楽器修理

2.タラッラ南学校(同上)。マータラ市から約20キロ東へ。海岸=>家庭科のための足踏みミシン6台、図書館用の掃除機、時刻お知らせ及び緊急時お知らせのための鈴等建設

3.ジャナーディパティ学校(大統領記念学校)、マータラ市内。(小・中・高一貫教育)。コロンボから約180キロ=>図書館用の家具、書籍 + 美術室用の用具、絵の具、家具 + 学校クラブ活動用のスポーツ用品

4.マハマーヤー学校。女子学校。マータラ市内。(中・高一貫教育)コロンボから約180キロ => 学校看板組み立て・設置 + 学生相談室の建設整備費、家具、設備

TFGより津波支援活動への参加: 鈴鹿国際大学大学院生の日置氏、TFGボランティアの 田中氏、TFGボランティアの 松本氏、、TFGボランティア・岐阜大学大学院生(博士課程)のマーネル氏、 TFG理事長の クマーラ氏   =計 5名

スリランカ現地から参加: Universe Institute 所長の シャーンタ コルレー氏、 マータラ市役所の助役及び役員 計2名

日本からのテレビ取材スタッフ: 計 4名


現段階での津波被害者に対する支援に関して:TFGのクマーラの考え方と意見

津波被害者に対する支援に関して、現状は時間とともに変わっていくものですので、その時その時にその実情を正確に把握した上で支援活動を行う必要があると思います。

それで、今回はクマーラがTFGを代表とし津波被害者の現状把握のため 第一回目 4月26日から5月8日まで現地を訪問し、情報を収集し、その分析を行いました。

その結果、TFGが第4回までの津波被害者に対する支援を行った1月、2月の段階では 「学生を対象とした支援」として 個人への靴、制服、などを検討していましたが、現在そのような「個人」を対象としたものがある程度支給されていることがわかりました。

同時に、学校全体を対象とした文化・スポーツ関連のクラブ、図書館などが復活するのは今の段階でもっとも望ましいものだということが見えてきました。

そのため、事前に計画した段階とは具体的な支援物の内容が異なってきましたが、支援の効率、必要性、相手の評価、支援が対象者にとってどれほど役に立つのかなどを検討した場合、状況は変化してくると可能な限り我々の支援内容もそれに合わせて調整・変化する必要があると思われます。

以前に決めたいたためそのとおりに実施しなければいけないと言う考えもあると思いますが、しかし、計画段階と実施段階との時間の差が生じるとその支援活動の意味が薄くなる可能性があります。

これからのしばらくの間は、このような考えでの支援活動は望ましいと思われます。状況は大きく変化した場合、再度その状況にあわせる調整は必要だと考えます。

皆様からの多大なご協力、ご支援、ありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いします。

アーナンダ・クマーラ

スリランカ被災状況およびTFG救援活動模様

 

スリランカの被害地域は、下記の赤い部分になります。

 

2005 年 2 月 5 日

皆様へ

現地の「ディワイナ」新聞(シンハラ語、インターネット版)2月5日の報道によると、3日の朝9時ごろ南部の観光地 「ヒッカデュワ」市近くの「トタガムワ」地域で地震が発生したということが、数名の住民による警察「ミーティーゴダ警察署」への通報によりわかりました。

家庭内の家財用具が揺れるようになったようですが、その揺れが約5分ぐらい続いていたようです。

ミーティヤーゴダ警察署のK.ゴンサたtール コーラーラ 署長によると、警察本部の「119番ユニット」が当地域での地震について知らされたこともあったため、地震が発生したという情報を伝えた住民の家を訪問し、その確認作業を行ったということです。
その現状について、地質・鉱物担当局(地震関連担当局でもある)へ報告を行ったようです。
詳細についてはまだわかっていません。

しかし、このような情報により、インド洋の国々の災害に対する考え方を変える必要があるといえるでしょう。地震が発生しないという前提の下で住宅を建てている場合が多いですが、このような考え方は「甘い」と言わざるを得ません。島国であるということから、今回のように津波発生のこともこれから十分に注意する必要があるでしょう。

しかし、耐震型建物の建設は、貧困人口が多く住み、途上国であるスリランカの場合はどこまで可能かが懸念されます。

以上、現地新聞の地震関連の情報をお知らせします。

アーナンダ クマーラ

 

2005 年 1 月 24 日

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

今日の報告は皆様としてもとても悲しくなる情報だと思いますが、統計資料が手に入りましたためお知らせします。

これは、被害者についてスリランカ政府の公式発表です。

昨日(1月23日)現在の外国人死者の数が、合計75名です。

この数の内訳は下記のとおりです。
(1) 身元確認されスリランカ国内で埋葬された数  18名
(2) 身元確認され、母国へ遺体の引渡し終了の数  31名
(3) スリランカの葬儀社(レーモンド社)預かりの数  4名
(4) スリランカ警察預かりの数             23名

合計死者数  75名


国籍別な内訳は下記のとおりです。

(1) インド人    12名
(2) 日本人     11名
(3) ドイツ人     9名
(4) イギリス人   8名
(5) アメリカ人    5名
(6) 国籍不明者数 21名
(7) その他     9名

合計 75名

この数は、スリランカで犠牲になられた外国人の数として政府が昨日現在で発表していますが、実は、この3倍以上の数が亡くなられたという新聞報告も見ています。

政府としては、確実に把握した数として以上の情報を発表しています。これからの情報も随時確認して、お伝えするつもりです。

よろしくお願いします。

アーナンダ クマーラ

 

2005 年 1 月 20 日

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

スリランカの20日付けの現地新聞(ランカーディーパ)による情報ですが、19日南部のウナワテュナ市ヤッタデヒムッラ村アンジャーナワッタにおいて、以前埋葬された被害者(死者)の中から、10名の外国人の遺体を掘り出し、身元確認をされたようです。

裁判の特別な許可の上、医者や警察の立会いの下でこの作業を進めたそうです。 外国人記者、外国人カメラマン(外国人メディア)のみ立ち入りが許可されたようで、現地の記者、カメラマンなどは完全に立入禁止ということにしていたようです。 そのため、今のところ国籍などはわかっていません。

今回の津波により260名の外国人が被害に遭われ、亡くなられたと公式的に発表されています。しかし、実際の数はそれより多いという情報もでています。 どちらにしても、これほど大津波のため多くの方が亡くなったことに関してはとても残念に思います。

NGOとしては限界がありますが、先進国政府、特にこの側面において高い技術力を持つ日本が中心に、途上国を対象とした津波観測・警報システムの構築は急務だと思います。 このことは津波発生直後私がお送りしたメールでも書いてあったと思います。それがあったならば、これほどの多くの数の犠牲者、外国人にまでも、被害が及ぼしたことはなかったでしょうね。

建物などの被害は津波の場合は避けられないかもしれないが、やはり、人の命はそんな簡単に犠牲になるのは、何とかして避けるべきだと思います。亡くなってからいくらお金をつぎ込んでも、亡くなられた方たちは生き返ることはないです。

グローバル化が急速に進んできている今日では、人の動きはとても流動的になり、外国訪問は昔と比べまったく珍しいことではなくなってきましたね。ある国の問題は、その国だけの問題で終わるわけではない。周辺国まで影響する場合はよくあります。

今回の津波被害はそのことを世界に強く訴えたと思います。 「これほどまでにも大きな今回の被害は、今世紀の最後の被害になってほしい。」 これ以上、世界的にもこのような被害者を出させないためにも、人間の安全を大優先課題にすべきではないでしょうか。 書きなれていない文章で申し訳ありません。

 

途上国を愛する皆様へ、そしてスリランカを愛する皆様へ

スリランカの津波被害地域では、今では学校も始まり、子供たちが通うようになって来ました。 しかし、いまだに、制服がなかったり、靴がなかったり、そして家ごと流されたために教科書やノートなどの文具がなかったり・・・学生の悩みも多様化しているようです。

もちろん、なによりも悲しいことは親などが無くなったりすることです。 このような時はこれらの学生らにどのように手伝いできるのでしょうか。 おそらく日本から文具やその他学生が必要とするものを集めて送る方法ももあると思います。

しかし、まだ、私クマーラとして戸惑っていることがひとつあります。 被害者の状況に関してとても悲しくなり、何かできる範囲で役に立ちたいと思う多くの優しい方々のその考え方、心はとても大事で、深く感謝します。

でも、今はスリランカの経済がとてもダメージを受けている在中です。そう考えると、スリランカを愛するものとして、可能な範囲で現地経済活性化のためにも、貢献するべきではないでしょうか。もちろん、ほかの途上国の場合も同じですよ。

そうなりますと、被害者支援の場合、可能な範囲で、現地調達した品物をお送りすることを考えるべきではないでしょうか。 クマーラとしての個人的意見ですが、多少厳しい指摘になると思いますが、ご理解お願いします。

クマーラ
2005年1月20日

 

2005 年 1 月 15 日

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

鈴鹿国際大学教授・NPO法人タランガ・フレンドシップ・グループ(TFG)理事長のアーナンダ クマーラです。

本日も現地スリランカのシシララジオをインターネットを通して聞いているときに、いくつかの場所から新たな遺体を発見したと報道されました。特に、ヤーラ国立公園 ( サファリパーク=動物保護地区 ) から「外国人だと思われる女性の遺体を発見しました」と言っていました。まだ身元が確認されていないようです。

ヤーラ・サファリパークでは、入園の際にサファリジープに乗り ( 一般車両は入園不可 ) 、サファリ事務所からの案内員(専門知識と責任感の高い公務員。路上でのガイドとは異なる)も同行した上でサファリパークを訪問することになります。 そして、ジープの登録番号、運転手の名前を登録した上、乗車人数分の入場券を購入してサファリパークに入園することになります。すなわち、その記録書さえ見つかれば、どれほどの人が行方不明になったのかが分かるということです。

このサファリパークは朝 6 時開園ですが、朝一番でパークに入ると様々な珍しい動物を見ることができます。ゾウやクマだけでなく運がよければヒョウもみることができます。後になると、自動車の音を怖がり動物たちが森の中に入ってしまい見れなくなってしまうのです。 ですので、多くの外国人はせっかく南部のサファリパークを訪ずれているため、朝一番で入園したがりますね。

今回の大津波は朝 9 時前後に起きたためこのサファリパークへ入園した殆どの人が、残念ながら亡くなられたようです。すべての入園者の人数確認がまだできておらず、行方不明者数も正確に発表されておりません。おそらく入園者記録が見つかれば、今まで収容した遺体の数などを合わせ最終的にどれほどの人が不明でその中の外国人の人数などもある程度正確に把握することができると思います。 今回は、サファリパークの案内員も多く亡くなられたという報告がありました。

私自身も数回このサファリパークを訪問したことがあり、とても感動的だった記憶があります。最後に訪問したのは 2003 年の 8 月です。三重県、愛知県、大阪などいろんな地域の(日本の)方も僕と一緒にサファリパークを訪問しました。しかし、今日のラジオ放送のニュースのように、その感動を味わうために遠い外国からスリランカまで、スリランカのこのヤーラ・サファリパークまでせっかく来てくださった外国の方々まで、今回の恐ろしい津波のため命を落とすことになりました。考えてみれば、「なんで・・・・・?」いくら大声で叫んでも気がすまないです。

もしスリランカで、このような場合に人々に注意を呼びかける制度や仕組み、システムでも存在したならば、海岸での放送で「津波がくるよ。早く逃げてよ!」と大声で案内したならば、今回亡くなった 4 万人以上の命が助かったに違いありません。

このように考えると、復旧支援ももちろん必要ですが、その前から津波などによる被害に関して「避難勧告・誘導制度」を設けるために日本やその他の先進国の手助けを得られたなら、外国人を含む多くの犠牲者が出なかったことでしょう。 スリランカの魅力に魅かれスリランカを訪問していた日本人の方々も、残念ながら犠牲者になってしまいました。 災害が起こった国・地域だけでなく、周辺諸国にまで及んだということを無視していけません。インドネシアの地震がインドネシアだけに被害を与えたのではなく、スリランカ、インド、ソマリア、モルジブを含む多くの国々まで及ぼしました。

以上のことから、特にこの側面(津波、地震)に関して高い技術力を持つ日本の役割がとても大きいといえるのではないでしょうか。 日本の ODA 関連のある資料では、「日本が国際協力活動を行う目的のひとつは、それにより日本国民の生活を守ることができるためだ」という意味合いのことが書かれていました。(私自身はこのような説明よりも相応しい、上手な言い方があると思いますが・・・)今回の被害は、このことの重要性について、強く訴えたことになるのではないでしょうか。

2004 年末での津波被害は、途上国の開発、および「国際開発」に対する先進国の関与・協力の必要性を物語っている悲しいできことですね。

 

2005 年 1 月 10 日

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

鈴鹿国際大学教授・NPO法人タランガ・フレンドシップ・グループ(TFG)理事長のアーナンダ クマーラです。1月7日の夜スリランカを出国し同じ日の夜9時40分ごろ名古屋につきました。

私クマーラが留守の間に自宅にも多くの方々から電話やメールでの連絡、問い合わせがあり、「自分もできる範囲での支援、手伝いをします」という、力強いった言葉をいただきました。心配して下さった方々へ感謝を申し上げたいと思います。

ところで、 8日は名古屋NGOセンターで記者会見に参加しました。テレビ、新聞などマスコミ関係数社が参加されました。既にテレビ番組や新聞で紹介されていますが、これからもまた紹介されることになると思います。

やはり、今回の津波被害は、多くの被害者・死者を出したスリランカ、そしてインドネシア、タイなどの国にとって、全く新しい経験になります。スリランカに関していえば、 2千数百年前にも南部地方で「津波」があったとかかれてあります。その理由が「地震」だということは明記されていません。もしこの伝説が正しかったとしても、当時は、神様扱いである地盤(=地球)が揺れたり、津波(=>海)が発生することなどを理解できなかったことでしょう。

スリランカでは地震や津波を経験しているのは、海外に渡航中に経験をした人だけといえます。ですので、一般の人々にはその恐ろしさがわかってもらえないのは当然かもしれない。だからこそ、これほどの数の犠牲者が出たのです。

以前も述べましたが、津波に関する適切な注意や警報さえ行っていたとすれば、これほどの数(既に 3万人以上)の死者が出ることはなかったでしょう。少なくてもメガホンスピーカーやヘリコプターなどを利用し、海岸にいる人々に対して、大至急高台に逃げるように指導したならば、住宅などは全壊されたとしても、多くの人々の命は助かったことでしょう。

このように考えると、悲しくてしょうがないですね。

被害状況:

現地のシンハリ語版新聞「ディワイナ」によると、約 31000 人の死者意外に、病院等で治療を受けている人の数は 5000 人以上だということです。死者及び患者の数は日が経つにつれ多くなりつつあるということです。

80 万人以上の被害者が 7000 箇所以上の避難所で一時避難をしており、最近、様々な病気も発生しているということです。

59の学校施設は全壊で、 110 箇所の学校は半壊されています。避難生活を送っている人々の中に 3000 人の教師及び 8 万人の生徒が含まれているようです。 学校も避難所の一種であるため、授業再開は困難になっています。

クリケットで津波被害者支援を:

2005 年 1 月 10 に、オーストラリアにおいてクリケット試合が行われる予定で、その収益を津波被害者への支援に寄付するようです。クリケットはスリランカの人気スポーツであり、以前世界チャンピオンになった実績もあります。

今回の試合に参加するのは「クリケット世界チーム」及び「クリケットアジアチーム」です。122カ国で生中継を行う予定で、 75000人が試合を観察するためメルボルン市を訪れることになっているようです。入場料は 20 ドルですが、昨日の時点ですべての入場券が完売だったようです。クリケット協会のメンバーも入場料を支払いし参加することになっているようです。

通常、この規模の試合を行うためには 12 ヶ月の準備期間が必要だと言われていますが、今回は 12 日間という異例の短い期間で準備され、本日試合を行うことになったようです。アジアチームにはスリランカから 5 名が参加されます。

これは、今回の津波による被害に関して多くの人々が、自分たちのできる範囲で協力しようとしているという例です。

 

2005 年 1 月 6 日

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

鈴鹿国際大学教授・NPO法人タランガ・フレンドシップ・グループ(TFG)理事長のアーナンダ クマーラです。今日は今回のスリランカ訪問の最終日です。

国内の新聞は津波により被害者のことや津波により流されたが奇跡的に命が助かった人の話、また彼らの支援のために国内の様々な組織が企画している内容についてなどの記事が殆どです。

北西州の公営小売協同組合(Cooperative Society, Wayamba Province)(所長、クマーリ・ウェーラセーカラ氏、北西州職業訓練校の所長が兼務)がすでに470万ルピーの募金を行っており、目標は1000万円だそうです。この資金は南部の救援者支援、主に住宅建設などのために使う予定だそうです。政治家からは、被害者支援のための資金を多く集めたいという話もありました。私としては多少慎重に考えたい気持ちです。義援金の使う目的、実施方法、実施体制、実施場所などについてよく考えてから実施に移りたいと思っています。

昨日、犬山市出身の協力隊員と電話で話し合いしました。日本から友人数名も救援のためスリランカを訪問する予定だそうです。「TFG及びほかのNGO団体によるスリランカでの被害者支援のため何かの活動があれば自分たち(日本から来る予定の友人)も喜んで協力をさせていただきます」とおっしゃっておりました。

今は食糧不足の問題も再発生しているようです。救援物資の配布を効率よく行っていないことも大きな要因だと思います。

下記は「国際開発」「途上国社会」に関する重要な意見です:

新聞では、被害者のために配られた食料品・他の救援物資の悪用のケース(集めた物資を店へ転売)、若者の悪質な行為(麻薬利用)、こそ泥棒的なケースなども報告されています。確かに、そのようなことが起こってはいけないと思いますが、私の今までの報告ではそのようなことが一切触れていなかったと思います。

私がスリランカからお送りしているメールでは物事を大げさに報告したりしていません。また限られた時間での報告ですので、重要な課題の一部だけの報告になっています。しかし、先進国からの支援をいただくために、そのように(問題を大げさに報告することなど)報告しなければいけないと思う方もいるようですね。特に、新聞記事などを読み、日本人を含む外国の方々が「えっ・・・」と思うようにならなければインパクトがないという方がいます。私としては少し複雑な気持ちです。

やはり、人間として「ぎりぎりのレベル」で、或いはそれ以下のレベルで生活していた人が多くいる社会ではこのようなこと(前述の悪質なケース)が起こるのは避けられないと思います。日本から見ると不思議でしょうがないかもしれません。日本の方の場合は、おそらくこのようなことが理解できないでしょうね。

しかし、このような現状に対する評価には、途上国で生まれ長い期間途上国で生活していた私クマーラのような人間の場合は日本人の方々と異なる面が多くあると思います。

日本で生まれほとんどの期間は日本で生活し、時々途上国を訪問してその訪問先社会をよく理解できたと思っていても、そうではないといえる面が多くあると思います。表面を見ただけでは、途上国社会の理解はできないと思いますよ。私自身もスリランカ出身でありながら、まだまだ十分に理解できていない面があるほどですので。

それでは、もうすぐ日本でお会いできるように祈りながら・・・

 

2005 年 1 月 4 日

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

鈴鹿国際大学教授・NPO法人タランガ・フレンドシップ・グループ(TFG)理事長のアーナンダ クマーラです。

スリランカ政府は、今回の津波による死者は3万人弱だと発表しておりますが、行方不明者や身元不明のまま埋葬された人などの数が正確に把握できていないため、今回の犠牲者は5万人に上るのではないかということも一部ではいわれております。

下記は、1月4日の現地新聞(シンハラ語版)による被害者救援のための様々な動きと被害状況です。

被害者救援活動:

○ポルガスオーウィタ・スポーツ協会が2月4日(独立記念日祝いのため)に予定していた自転車競技(bicycle race)を取りやめ、その費用・賞金をハンバントタ地域の住宅建設に当てることに決めた。対象者にも労力を提供してもらうが、1棟当たり約10万ルピーの費用で建設予定。

○スリランカサッカー協会:2,000,000ルピー(約200万円)の募金を集めた。最終目標は50,000,000ルピー(約5000万円)。

○「ウィジャヤ救援資金」(ウィジャヤ新聞会社による募金)は1月3日までに2,000,000ルピー(200万円)の募金を集めた。

○ガンガーラーマ寺院付属の「救援資金」:1週間後、建設済みの仮設住宅1000棟を被害者に手渡す予定。最終目標は100,000棟です。(1月4日現在)。希望者は寺院、教会、モスクなどの責任者を通し、警察発行の被害証明書を添付して申し込みすることになる。

○ルフナ(南部地域という意味)開発銀行の救援者支援計画による募金・救援物資の収集:食料品、服、子供用の食料品・粉ミルク、台所用品、薬品、学校教科書・筆記用具の収集や、住宅建設のための募金などを集めている。本部の他44の支部でこれらの品物・募金活動を行っている。

被害状況:

○91754棟が全壊。25604棟が半壊。

○死亡者数は合計30196人。そのうち9000人は18歳以下の若者、子供。さらに3000人の子供は親を失っった。(UNICEFからの報告)

○ゴール市のカラーピティヤ病院で埋葬された400名の被害者の顔写真を公開し、地域住民に協力を呼びかけ、身元を特定しようとしている。

○スリランカ「ランガマ」バス公社の被害総額は400,000,000ルピー(約4億円)

 

2005 年 1 月 3 日

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

鈴鹿国際大学教授・NPO法人タランガ・フレンドシップ・グループ(TFG)理事長のアーナンダ クマーラです。

日本を含む外国のメディアでは今回の地震・津波被害に関する報道もだんだんと少なくなってきたことだと思います。しかし、スリランカではいまでもラジオ、テレビなどのメディア番組の多くで津波による被害を報道しております。このことは、今回の被害がこの国に対してどれほど大きな影響を与えたかということを物語っています。

現地FMラジオ局「シラサ」の17時前のニュースにおいて津波被害状況を報道しましたが、それによると死者は3万人以上で、その数が今後も増える可能性があるということです。いまだ建物の下敷きになりまだ見つからない人や、直接海に流されてしまい把握できない人など、行方不明者が5400人以上にのぼるということです。家屋は、9万1794棟が全壊し、2万5千棟以上が半壊、18万人以上の人々が避難生活を送っております。

一昨日私が訪問したマータラ県では、58箇所の避難所があり、約2万人がそこで避難していました。この県ではほぼ同数の約2万人が親戚や知人の家に避難しているようです。アンパーラ県では一部の村において津波による水位がまだ高く、車が通れなくなっているため、ヘリコプターなどで救援物資を運んでいる模様です。ジャフナ県ではワダマーラッチ村がもっとも被害が大きく、外国支援からの薬品などを配布することになったようです。今のところまだ健康や病気の心配はありませんが、水位が高い地域においてはその恐れがあるため十分に注意が必要です。

行方不明者を探すため、ラジオ番組の中で行方不明者の名前を発表し、番組や近親者への連絡を広く呼びかけていますが、まだ成果が出ているとはいえない状況です。

また、様々な組織が中心となって、全国的に救援物資を集め被害者へ配布する動きはまだ続いています。最初は道路沿いの避難所や被害者にしか配布できなかった状況もあったようですが、最近は海岸から離れた避難所までも届くようになってきたようです。

一昨日と昨日は一部の地域において雨が続いていたため十分に救援物資の配布はできなかったこともあったようですが、今日は全国的に晴れており、支援活動が比較的に容易にできるようになったようです。

本日は調査のためキャンディー市、クルネーガラ市を訪問しました。いずれの町も大勢の人でにぎわっていました。特に子供(学生)の筆記用具購入のためこれらの街を訪れた人が目立ちました。
(私が移動に使った車の運転手も子供の服やノートなどをキャンディー市で購入しました。キャンディー市は、彼の家から約50km離れている街です。少しでも良い品物を購入するために街まで出かけなければなりません。交通事情が悪いスリランカにおいては、このようなことも住民に大変負担を与えるものです)
1月3日から学校が開校する予定になっていましたが、津波被害のため開校を1週間遅らせる模様です。しかし、東部、南部や北部などの被害が大きい地域においては開校の見通しがたっていません。

 

2005 年 1 月 2

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

鈴鹿国際大学教授・NPO法人タランガ・フレンドシップ・グループ(TFG)理事長のアーナンダ クマーラです。
天気は雨。熱帯国のスリランカとしては寒いと感じる温度です。

昨日の朝5時ごろワラカーポラ市(コロンボから50キロ北部)を出発し一日の長い旅が始まりました。目的地は、南部のマータラ市(ワラカーポラ市より230キロ)で、またその途中のゴール市でした。南部の悪い交通事情、道路状況を考慮し、いざとなったときを考えて、運転手2名をつれていくことにしました。また、スリランカ交通局副次長にも同行(コロンボで待ち合わせ)していただきました。

今回の被災地訪問は、被害の状況を確かめ、今後の支援活動をどのようにするかを検討するためです。前回よりは少ないですが、救援物資の水、果物、子供向けの本などを車に乗せ出発しました。途中の路上で被災者に手渡しました。

最終目的地のマータラ市には14:50ごろ着き、18:30ごろまでマータラ市周辺の様々な場所を訪問視察しました。運転手2名が途中交代しながらの移動でしたが、道路に横たわっていた大きな石(10キロ以上)とぶつかり,スピードメーターのケーブルなどが壊れ、大変な思いをしながらワラカポーラ市へ戻ったのは夜中の2時ごろでした。

海岸道路(第2号線)を通りましたが、コロンボを南方に下ったあたりから、津波の被害により破壊された海岸沿いの住宅が見えてきました。海から50〜100mあたりの家は殆ど全壊し、被害を受けた住宅などの痕跡が多少残っているだけでした。この辺の道路自体は被害を受けてないようです。モラテュワ市(家具生産が有名)からヒッカデゥワ市(きれいなサンゴ、熱帯魚、海亀などで有名な観光地)辺りまでの移動にはそれほど問題はありませんでした。しかし、ヒッカデゥワ市の道路や橋は崩れ、通ることができない状況です。この周辺では、ボートなどが路上に乗り上がり、また内陸2〜300mのあたりまで船が流されている姿もよく見えました。

警察がパトロール・道路案内などを行っています。迂回路を使って遠回りでヒッカデゥワ市を通過。海岸にある多くの有名なホテルが壊れていました。有名なヒッカデゥワ・コラル・ガーデンホテルや他のホテルも1階のガラス窓がほとんど壊れ、壁もところどころ崩れていました。南部に向かって道路右側の海岸沿いのホテルだけでなく、道路を挟んで左側のホテルでも同じ状況でした。ベールワラ市、ベントータ市も同様です。途中の目的地であるゴール市(オランダ時代の軍事施設、世界遺産で有名、コロンボから99キロ)は海から500〜1000mのところですが、津波はそのあたりまでもきていました。流されてきた家財道具、自動車、がれきなどが残っています。現地のテレビでも紹介されていましたが、塾通いの女子学生ら5人もここで津波に流され命を失ったようです。

そして、マータラ市へ。以前多くの商店街、商人、客で賑わう街中心部もさびしそうでした。殆どの店が閉まったまま、或いは被害をうけ倒壊したままです。有名な魚売り場も、完全に全壊していました。

知人のマータラ市役所の助役を尋ねてみましたが、ガードマンの話により役員宿舎の中にまで海水が流れてきて、その助役は離れた場所(内陸)に避難していることがわかりました。

その後、助役から連絡があり、津波当日は宿舎の中に強い波が流れてきて、体の3分の2の高さあたりまで水位が上がり、苦労してやっと高台に逃げることができたと、その恐ろしい経緯を話してくれました。近いうちに市役所の仕事が再開できるよう全力を挙げたいと話していました。

南部へ渡る道路両側は倒壊した住宅や残骸、がれきなどで埋めつくされていました。また、住民が避難物を運ぶトラックなどを待っている姿も見えました。多くは女性と子供です。多くの男性は壊れた住宅の片づけをしていました。キャタピラ、power shovel などで溢れたがれきの撤去作業をしていました。

被害者に対して食料品はある程度運ばれてきているようですが、その配布は一様でないという感じを受けました。救援物資の配布の仕方に関しては工夫する必要があります。

漁村は全壊。ボートが転覆したり、道路または陸や海に流されたりしていました。様々な地場製品(ロープなどのヤシ製品、民芸品、おめん)などの土産店や、観光地として有名な海岸の店舗の殆どが津波により全壊していました。
彼らはいつ商売の再開ができるようになるのだろうか。それはどこで?資金はどうするのか?どこに住むのか?その土地はどのようにして購入することになるのか?海岸にはあまり住みたくないが、内陸に住んだ場合、観光客はそこまで来てくれるのだろうか?など、彼らが直面している問題は様々です。

このような時、衣食はもちろん重要ですが、避難者は将来どこに住むのか、とても気になることです。被害の規模があまりにも大き過ぎて、NPO・NGOなどの民間団体の力だけではこの問題を解決できません。
いつ自立できるのか?いつ自分たちの力で生活できるようになるのかといったことも懸念されます。

今回は南部のマータラ市までしか行きませんでしが、ここより先のハンバントータ市(有名な観光ホテルがあり外国人を含む多くの死傷者がでている)や、東部のバティッコラ市、北部のトリンコマリー市、ムラティブ市、ジャフナ市(タミール解放のトラ=LTTEの兵士も死亡しているようです)などの地域の被害もとても大きいようです。

1月1日から、現地のラジオ局では死者の数の報道を控えるようにしています。災害直後から12月31日までは死者の数を頻繁に報道し、3万人近い数の人が命を失ったと報道していました。今でも倒れた建物の中から遺体が出てきているようで、まだ行方不明者が4千人以上いるようです。お葬式は行いまま政府による土葬が殆どです。ある病院の責任者が、大多数の死者がひとつの大きな穴の中で埋葬されることになったとラジオで報告していました(具体的な数についての明記は遠慮させていただきます)。あまりにも被害に遭われた方が多いため、病院での対応が追いつかず、死亡者の身元が特定できないまま生地に巻かれた姿で土葬されているようです。

今年に入ってから「津波の力以上に私たち全員が全力でがんばり、国を立て直しましょう」というスローガン的な話が政治家の口から出るようになりました。LTTEも以前政府と強く対立していましたが、現在はそれよりも「みんなで協力してこの危機を乗り越えるようにするべきだ」という発言が目立ってきました。

政府軍による少数民族のゲリラとの戦いの他に、政治力を高めるための政治派同士の権力争いもスリランカでは深刻です。多くの政治家は、国づくりを真剣に考えているとはいえない状況なのです。
全国レベルで大規模の被害を受けているこのようなときこそ、これをきっかけに、この小さい国の人々の様々な争いが完全になくなることができるのであれば、今回の大規模の被害は本当の意味の被害ではないといえます。

・・・

マータラ市役所で聴かされたショッキングな話です。
近くを通りかかった男性に声をかけてみたら、その方はたまたまその市役所の受付主任(現地語でアーラッチといいます)をされているマイケルさん(57歳)でした。

アーラッチ(マイケルさん)の話:

自分の家にも海水が流れてきて、家の中にいた子供二人が1m以上の高さの波に溺れそうになったそうです。アーラッチは彼らを助けるために手を伸ばしましたが手が届かず、一瞬の強い津波によってその二人が倒れ始めた壁の外に流されてしまったようです。周りを確認すると、首まで沈んでしまっている母親の弱い叫ぶ声が聞こえてきたと同時に、少し離れたところで何かにぶら下がっている妻が見えてきたようです。誰を先に守ろうかと一瞬戸惑ったようですが、母親は老人で泳ぐことができず、その上目もあまり見えないため、やはり「お母さんを先に助けるべきだ」と決め、もがきながら必死に高台まで運び、次に妻のところへ助けに行ったようです。「自分は泳ぎが得意だが、その津波はとても強く怖かった」と話しており、足などを怪我されていました。

アーラッチが「お母さんは重症で、おそらくあと2、3日の命かもしれないが、自分は精一杯頑張ったので、後悔はない」と悲しそうに話をしていました。でも「僕の大事な子供二人が・・・戻ってこない。息子の遺体は見つかったが、娘はどこに流されたのかわかりません。・・・残ったのは息子の死亡証明書だけです。いまは息子の死亡証明書をポケットに入れていますよ。このハンカチ(手にあったハンカチを見せて)は娘のハンカチで、私の宝物です・・・」と言うと同時に涙がこぼれていき、そのハンカチで涙を拭っていました。話を聞いていた僕らはどのように答えていいのか・・・とても困ってしまいました。クマーラの今までの人生の中でこれほど言葉に困ったことはなかったです。

アーラッチは涙を流しながら、「明日もお寺に行き、子供のためにお祈りします。おそらく母はもうすぐ(死ぬ)かもしれない。でも、僕はできること全てをやりました。でも・・・僕の大事な子供2人が戻ってくるわけがないから・・・・とても悲しいよ。今回の大変な被害で家族全員が亡くなったり、一人だけ残された人が多くいたりすることを考えると、僕は恵まれたほうです。・・・でもね・・」と、苦笑いをしました。

話を聞いた私たち全員が言葉を失いましたが、お悔やみの気持ちを伝え、救援物資の水、食料品などと一緒に若干の義援金を手渡ししました。彼はそれらを受け取るのを遠慮していましたが「以前は僕が多くの人を助けましたが、今は僕が完全に被災者になりました。いまは人様の助けが必要です。仕方がありません。」と、お礼の言葉と感謝の表情で、私たちからの心ばかりのものを受け取りました。
(マータラ市役所の助役から電話連絡があったときにアーラッチのことを伝えると「それは事実だ」と話していました)

このように、今まで真剣に努力し生きてきた多くの人々が今回の津波により被害者になってしまいました。自分たちのことを誇りに思い自分たちの力を信じて生きてきた多くの人々がこの被害者なかに多くいるのです。26日の恐ろしい津波は、この方たちの持つ人間としての誇り、自信、一生懸命確保してきた財産、また何よりも大事な家族・・・何から何までも全て奪ってしまいました。物質的な被害と同様に、或いはそれ以上に精神的な被害もとても大きいのです。

スリランカは発展途上国です。正確な警報システムが存在していたのであれば、今回のように大多数の死者が生じることはなかったでしょう。発展途上国としての弱さを感じずにはいられません。今回被害を受けたインドネシアやインド、タイも同様です。

今回被害にあった人々は貧しい人ばかりではなく、比較的豊かな方々もたくさんおられました。彼らは、彼らの経済力とは関係なく、この国の一番貧しい人たちからの食糧支援をとてもありがたく考える立場まで落とされました。貧富の差が激しい社会の従来の姿とは大違いです。今回のことは、人々へ重大な体験を強いらせられていますが、全国から集まってきた救援物資により、生きることの大切さ、人間の情の温かさ、ありがたさを多くの人々が感じたのではないでしょうか。人間社会では権力や財力により生活レベルの違いが生じるのですが、「自然」という偉大な魔力の前では皆一様です。

私たちは、被害者の方々が誇りを持って自分たちの力で立ち上がる日が一日も早く訪れることを願ってやみません。このような時こそ、私たち一人一人ができる範囲で協力すべきではないでしょうか。

 

2004 年 12 月 31 日

皆様へ

今日は国際協力関係の調査のため再度北西州のクルネーガラ市、ワーリヤポラ市へ行きました。
夕方ガンパハ市(コロンボ空港より40分程度の場所)行き、南部の方で支援活動を行っている方々と話し合いをしました。
これから私たちがどのように支援活動を行えばいいのかを決めるための基本材料を集めるのが目的でした。

明日、スリランカ交通局の副所長と一緒に南部のゴール市を目指し行ってきたいと考えています。出発時間は(明日の)朝5時ごろになります。南部地域の現状を直接確認してきます。
明日の夜中までに戻れるかどうかわかりませんが、できない場合どこかのホテルで宿泊することになるかもしれません。
戻ってきてから報告をします。

アーナンダ クマーラ

 

2004 年 12 月 30 日

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

鈴鹿国際大学教授・NPO法人タランガ・フレンドシップ・グループ(TFG)理事長のアーナンダ クマーラです。

30日19時の現地シラサラジオ局によると、死者は合計27000人を超えるとの報道がありました。まだ正確な把握ができていない一部の地域があり、被害者はもっと増える可能性が極めて高いと思われます。

コロンボから南部へ走る列車に乗っていた乗客約900名の中からたった一人のみが奇跡的に助けられたばかりで、残りの全ての人々は悲しい運命に遭われました。2つの車両が海の中に吸い込まれ、残りは倒れた後脱出できないままで命を失ったようです。

津波警報が十分早く出され、住民がそれに従っていたのであれば、これほどの大きい災害に遭うことはなかったのではないか思うと、悲しくて仕方がありません。地震、津波の経験のない国として、初めての災害ともいえますが、発展途上国という「開発」の面での大きな違いを感じずにはいられません。

もし同じ規模の津波が日本で発生したとしてもこれほどの大きな被害にはならなかったのではないでしょうか。多少の被害はあるものの事前に津波警報がだされ、人々は非難をすることができたのではないかと思います。最近日本でも地震や自然災害、水災害が多く発生していますが、先進国としての技術の高さのため、住民への被害は最小限にくい止めることが可能となっています。

発展途上国で同じような自然災害が発生した場合は大きく違います。インドネシアは、既にスリランカよりも多くの犠牲者を出した国です。しかし世界の国々の関係がどんどん深まりつつある今日では、同じ人類ということを考慮すると、世界のどこかの国の大切な命がこのように亡くなるということは許されるべきことではありません。

世界第2位に上る日本のODA実績、また世界によく知られている日本の国際協力活動はこの面でも役に立たせることはできないでしょうか。是非検討していただきたいと切に願います。

スリランカに対し、日本政府は多大な援助を行う予定だと聞いています。政府の援助に任せるだけでなく、私たち民間レベルでも貢献できる分野は多くあると思います。民間団体などの長所、短所、またその性格を考慮し、今回被害に遭われた地域での人々を対象に下記のような支援ができるのではないかと考えております。

 

第一段階: 食料品、服、伝染病や他の病気の予防・治療のための薬品の援助。
        子供の教育支援・特に教材、服、筆記用具などの援助。

方法: 資金面での貢献。必要物資はスリランカ国内で調達。

日本から救援物資を集めてスリランカへ送ることも可能ですが、労力、経費(国内外の運送代、手数料)の他、現地の人が日本の薬品や、食料品などに不慣れなことを考えると、スリランカ国内で調達するのが最も効率的だと考えます。
(スリランカ国内において、南部以外の地域でのこれらの品物の大幅な不足は当面の間考えにくいと思います)

これは人道的に考え、早急に措置をとりたいことであります。

 

第二段階: 自立のための職業訓練支援。
        住宅(住居)、収入を得るための経済手段が無くなった人々を対象に
        自営や職業につけるための短期の訓練(職業訓練)を行う。

方法: 長い期間に渡る計画を策定し、実施。

TFGなどのNGO団体による長年にわたった職業訓練活動の経験を十分に生かし支援することができると思います。これは、現地に相応しい活動を現地の人々を中心とした上で実施させ、それらに関して、彼らの不足している面を日本のNGOなどの民間団体が補うことです。一般NGOとして、比較的規模の大きい職業訓練活動の実施は難しいと感じるかもしれませんが、スリランカ国内の適切な組織との連携を図ることによって、そのような問題を解決でき、大きな貢献が可能になると思います。

資金的な貢献の他、日本の高い技術力、豊富な知識力が期待、活躍できることでしょう。

先進国から途上国への技術移転の側面でもよくあらわれる活動です、実施に関しては、事前に関係者と十分に話し合ってから行うべきです。

スリランカ・日本両国において、そのための総括的に管理する組織が必要であり、キーパーソン(中心人物)を把握することはその成功の鍵となります。

 

2004 年 12 月 29 日

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

こんばんは。

鈴鹿国際大学教授・ NPO 法人タランガ・フレンドシップ・グループ( TFG )理事長のアーナンダ クマーラです。

前日に続きの、「スリランカでの津波被害」に関するメールです。

このメッセージを書き始めたのは現地時間の21:30です。

現地のシラサラジオ局によると、夕方 18 時ごろの時点では23000人近い方が亡くなられたとのことで、 70 万人以上の人が避難生活しているようです。まだまだ安否の不明の方が実に多くいらっしゃるようで、クマーラの個人的見解では、亡くなられた方は4万人以上になるのではないかと推測しております。

昨日お昼から救援物資を配布するため南部を訪問した 6 名が先ほど帰ってきました。長い道のりで大変疲れていましたが、使命に燃えている様子でした。彼らは、多くの方々に救援物資を、自らの手で直接配布し、被災者の方々の喜ぶ顔をみて、「苦労してここまで来た甲斐がありました」と話をしていました。 また、6人が口を揃えて被害の大きさについて驚きの声で話をしていました。下記にて、訪問団の現地での様子をお届けします。

救援物資第一便が28日の13時に出発し、本来であれば6、7時間後には着くであろう南部の知人宅に、10時間後の23時ごろやっとたどり着けました。29日の朝から救援物資を一人一人に渡すための袋詰めをし、それから 3 つのお寺(ゴール・ワラウワッタ村寺、ダンゲダラ寺、ヤーゴダ寺の避難所)と、ダンゲダラ村、また路上にて、合計約 2000 人ほどの被災者の人々に、約 6000 食分の食料と、服、薬、寝る用具などを配布してきました。

今スリランカで生きている人々が、これほどの規模の災害・被害を受けたことはありません。行き帰りの道端では、亡くなられた人のお葬式の模様や、その列などで、大変ショックを受けました。そして、ここに書きたくもないですが、遺体の臭気が鼻につくほどでした。病院でも遺体を安置する余裕がなく、亡くなられた方へは「遺体を病院まで運ばずに、直接お葬式を済ませるように」と指導しているようです。また、遺体を収容するための棺おけも足りず、亡くなられた人に対しての最後の別れも気持ちよく行えない状況にあるようでした。

お寺が避難所になっている所が多く、その他教会、モスク、学校なども大変貢献していました。全国から救援物資が届き始めていますが、道路添いの一部のお寺では救援物資が多く届き、配布処理に頭を悩ましている様子もありました。

シラサラジオ局は頻繁に国民に救援のための協力を呼びかけ、シラサラジオ局としてのトラック・バンなどを出動し、全国的に救援物資を集めています。お金もちか貧乏かの関係はなく、自分たちができる範囲でシラサの収集トラックに救援物資を預けたり、直接南部まで出向いて届けたりしている人もいるようです。

しかし、スリランカ国内の人々の能力には限りがあると思います。今は、被害者の現状を見て、このように手伝いをしていますが、統計によるとスリランカの30%以上が貧困層です。そのような人の場合は、他人を手伝うどころか、自分たちのための十分な食料を調達することも難しい状況です。そうなると、近いうちに限界が見えてくると思われます。

スリランカ被災状況の写真を添付しました。 南部地域のゴール市 ( コロンボから 100 キロ。オランダ時代の遺跡など世界遺産がある街 ) からヒッカデゥワ(有名な観光地。ここのホテルも全てが被害を受けているようです)。

 

2004 年 12 月 28 日

「スリランカの津波被害に関して」

皆様へ

鈴鹿国際大学教授・ NPO 法人タランガ・フレンドシップ・グループ( TFG )理事長のアーナンダ クマーラです。

前日に続きの、「スリランカでの津波被害」に関するメールです。

今日の午前中のラジオでは 12000 人の死亡で、夕方の 7 時ごろになると 17000 人が志望したと報道されました。夕方の 18時ごろのテレビニュースでは死亡者数は 13000 人程度だと報道されました。しかし、様々な報告によると、まだまだ現状を正確に把握していないようで、おそらく今まで報道されている数の約 1.5 倍程度の死亡者が出てもおかしくないかもしれない。

南部のサファリパークや南西部から南部へ、また東部、それから北部にかけて多くの観光ホテルがあり、国内外の多くの観光客がこれらのホテルで滞在しており、その多くは被害に遭われたようです。死亡者数は少なくなるように祈るばかりです・・・。現地の新聞は死亡者のお葬式についての記事などで、とても残念です。

今日は私自身の予定を変更し、地元の少年に声をかけ、南部地域へ救援物資をお送りすることにしました。まだ皆様と十分に連絡はしていない段階ですが、日本の TFG の名前で食料品 ( お米、お砂糖、カレー用のダール豆、子供用の粉ミルク、焼きそば用の麺、小麦粉)薬、石鹸、飲料水、服や生地などを小型車(ニッサン・カラワーンのバン)に乗せて、それを南部のゴールという町までお送りしました。

私たちは店でそれらの品物を購入している姿を見た主婦などは、早急に自分らの家に戻り家庭にあった飲む水やソフトドリンク、またお米などの食料品、生地や服などを持ってきてくださり、被害者に渡してほしい頼まれたこともありました。日本と比べると精一杯がんばって「やっと」という程度の生活をしている貧しい人たちのはずですが、彼らの心の温かさが再び実感しました。

今回はワラカポラからゴールまでの距離は遠いということと、向こうでの配布作業手伝いのため、地元若者6人(男性4名、女性2名)が参加しました。その団長が岐阜大学の大学院生 ( 博士課程 ) のスリランカ人女子学生のマーネル氏でした。

今回は津波で道が壊れて回り道でゴールまで移動したため、お昼13時ごろワラカポラー市を出発し、22時ごろ目的であったゴールという町に入れたようです。もう夜になってしまったので、今夜はそちらで滞在し、明日の朝それらの救援物資を被害者・避難生活をしている方々へお渡しし、それからこちらに戻ることになっています。

西部地域は被害を受けていないようです。私が滞在・国際協力に関する調査を行っている地域は西部地域及び北西州地域で、これらの地域には津波などの影響はなさそうです。死亡者はまったくないと思います。

この地域の人々は、「今日は南部ですが明日はこちらかもしれない。私たちもできる限りの手伝いをしなければいけない」と、他者意識の強さが感じました。確かに、経済的に貧しい人がこちらに地域でも生活しているが、かれらも今回の被害を見て。「現時点では自分たちよりも貧しく」なっている被害者へは可能な限りのおてつだいをしたいと話をしていました。

出発前の様子を写真でお送りします。看板は「津波被害者への救援物資〜日本のタランガ フレンドシップ グループからです」とかかれてあります。

アーナンダ クマーラ

  



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